岡崎哲也 
 岡崎哲也
 (tetsuyaokazaki)

出会い

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第12回

桜が綺麗に咲き始めるこの時期は、何かと動きがあって新しい出会いの時期でもありますね。

 進学、就職、引越し、異動、昇進、etc. 新しい環境は少し緊張しますが、慣れ始めると周りの人たちのいいところも見え始めてくるんですよね。自分ではまだ気付いていない隠れた才能を引き出してくれたり、あるいは今、自分の一番の悩み解決のヒントをくれるかもしれません。

私達の人生は「いい出会いを求めて生きている」と言っても過言ではないでしょうね。

日本の歴史の中でとても印象強いのが「空海」と「恵果和尚」 の出会いです。 空海は、奈良時代末期に今の香川県に生まれ、12歳で国学を学び、同時に桓武天皇の皇子の家庭教師であった母方の伯父に教えを受けます。

その伯父のすすめで都に上り、18歳で大学に入学しました。当時の大学は朝廷の役人を養成する機関で、卒業生は中央の高官になる道が開けていたんです。しかし、空海はその大学を辞めてしまいました。

儒教中心の教育は自分が求めていたものとは違うと感じ山岳修行の道を選んだのです。紙の衣服に荒縄の帯を締め、食を乞う托鉢の木椀と数珠しか持たず、貧者からもあざ笑われるほどでした。

この時期、苦行により「虚空蔵求聞持法」を習得し、超越的な記憶力・洞察力・法力を身に付けます。31歳にして国家的大事業である遣唐使の一員となり中国へ渡り、ついに恵果和尚と運命的な出会いをします。

中国に伝えられた密教を受け継いだのが長安・青龍寺の恵果和尚でした。恵果は空海を見るなり、「あなたの訪れをどれだけ夢見た事か。私はこれで密教の奥義を伝える事ができる。私の命はあまり長くはありません。早く用意をしなさい。」と伝えます。

密教の正統な継承者である恵果が、1000人の直弟子ではなく、初めて会う異国の人に奥義を伝えると言ったのです。空海は数ヶ月をかけて密教の奥義を習得します。これにより密教の正統な継承は日本人に伝わり、その後、空海は20年の留学予定を3年ほどで切り上げ、日本帰国後に数々の伝説を作る事になったのです。

ではなぜ空海は恵果和尚と出会って、そんな大事な奥義を受ける事ができたのでしょうか? それは空海が準備をしていたからなんですね。貧者にもあざ笑われるほどの身なりで山岳修行の厳しい道を選び、苦行により「虚空蔵求聞持法」を習得、自分の信じる道を極めていったからでした。

 もし空海がそんな準備をしていなかったら、恵果和尚と出会っても気付かれなかったかもしれません。私たちは、常により良い人生を生きる為に自分を磨き続けたいですよね。

 そして空海と恵果和尚の出会いのように「あなたを長い間、待っていました」とまではいかなくても、「あなたと出会えて本当に良かった」と言われる人間になりたいと思います。いつでもどんな時でも日々精進ですね。

 桜の咲く季節、あなたにいい出会いがありますように。

 

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