平沢純一 
 平沢純一
 (junichihirasawa)

【元ニート、起業したんだってよ】即効性のある「コストゼロの精神カンフル剤」

このエントリーをはてなブックマークに追加

前回、一緒にやってくれる仲間は「燃費効率をあげてくれる最高の低燃費エコシステム」というお話をしました。


今回は、「一緒にやってくれる存在が与えてくれる三大効用」の最後のひとつをお話ししたいと思います。

これは即効性もあり、中長期的効果もあると僕は感じています。

最後のひとつ、それは「精神的充足感」です。

ひとりでプロジェクトを進めるのと、誰かと共同で進めるのとでは、
この精神的充足感が全く違います。

ハート

分かりやすい例をあげると、
多くの人が経験したことがあると思いますが、学生時代の「部活動」です。


僕は、小中高とサッカー部に所属していましたが、今でも度々、自分の中での名シーンを思い返すことがあります(笑)
中でも中学時代のサッカー部が最高でした。もう一度あのチームでプレーしてみたいなんてことも、たまに考えてしまったりします(笑笑)


僕らの代では、中学校創設以来初めてのサッカー部県大会出場!!

などという、ごく小さな栄光もあり、とにかく精神的に充実していました。

と、ここでひとつの疑問が浮かんでくるのですが、
果たして、「何がそれほどまでに充足感を満たしてくれたのか?」ということです。


まず、単純に「サッカーをすること自体が楽しかった」ということが1つ。

もう1つは、ちょっとくさい言い方になってしまいますが「仲間とともに喜びを味わえたこと」

そうはいっても、
練習は疲れるし、筋トレもしなくてはならないし、朝練もあるし、、

楽しいことばかりではありません。

それでも良き時代として心に深く刻まれているのは、多くの苦しみや悔しさを乗り越え、
試合や大会で勝つ喜びを、仲間と味わえたからに他なりません。

トロフィー


同じ目標に向かって苦難を乗り越えてきた…?

正直、部員の皆が同じ目標を掲げられていたかどうかは自信がないのですが、
少なくとも「試合に勝つ」というシンプルなものは共有できていたはずです。

いま、客観的に振り返ってみると、

「試合に勝つ」という単純すぎる目標であったとしても、それを「共有できた」ということが、精神的満足感をもたらしていたことに気づきます。

つまり、「試合に勝ちたい」という【欲求】を、
「試合に勝つ」という【共通の目標】に置き換えられたこと。
共通の目標となったからこそ、辛い練習や負ける悔しさをも共有でき、耐え抜けたのだと思います。


辛い練習・苦い経験 →辛い練習・苦い経験 →辛い練習・苦い経験 →試合の楽しさ・勝利の喜び →辛い練習・苦い経験 →辛い練習・苦い経験 →辛い練習・苦い経験 →辛い練習・苦い経験 →試合の楽しさ・勝利の喜び →辛い練習・苦い経験 ………


頻度で言ったら、辛いことの方が多いかもしれません。
(というか、ほとんどの場合そうだと思います)

しかし、その先にある「試合の楽しさや勝利の喜び」を求め、いくつもの試練を乗り越えて来られたのではないだろうか。
いま素直に、こう思うわけです。


そして、「試合に勝つ」ことが共通の目標となり共有されることで、試練を乗り越えていく力は倍増します。

折れ線グラフ



こうして「試合の楽しさや勝利の喜びを求めて、いくつもの試練を乗り越えていく」
という好循環がまわり始めると、

今度はその試練さえも何だか楽しくなってきます

真夏の炎天下での部活動はハードです。
それでも、「ナイスプレー!」、「がんばれ!」などとお互い声を掛け合いやっていると、辛いシーンでも楽しめるタイミングが訪れます
こうなってくれば、しめたもの。あとは、没入の境地に向かって、ただひたすら突き進むだけ。



最後にちょっと備忘もかねてまとめると、


まず、そのこと自体が没頭できるものであること (これは、自分の条件)
次に、共通の目標が存在すること (これは、相手との条件)

この2つが揃うことで、
即効性もあり中長期的効果もある「コストゼロの精神カンフル剤」を自分自身に注入し続けることができるのだ。

ということを

ここでこうしてお話ししながら、改めて僕自身も再認識し、脳内をアップグレードさせていただいた次第でございます。

ではでは、また次回。

 

 このエントリーをはてなブックマークに追加
                       
< このカテゴリの前の記事
    
HOME│      このカテゴリの次の記事 >